【六】
スクイディを倒したあと、鍋島樹と森下諒貴は薄暗くなった空の下、半壊した灯台を背にし、並んで立った。
「元通りの身長になあれ」って念じたら、いつもの小学生のイツキに戻ることができたのだ。
大きな幅広の魔剣も消滅していた。
山から海のほうへ吹く風が少年たちの小さな肩の間を吹き抜け、半袖を揺らす。
退治したイカはまだ煙を上げながらパチパチと燃え続けていたけど、火力から伝わる熱気が、濡れた身体には程良かった。
「森下くん、音楽得意だったんだね」
「小さい頃からエレクトーン習わされててさ。何度やめようって思ったことか」
茶髪のハンサム小学生は眼鏡をかけてないイツキのほうを向き、ふふふっ、と笑った。
あらためて顔を見ると、今のイツキの顔はさっき耳元で見たより幼げに見える気がする。
「森下くん。今日はどうもありがとう」
向かい合って、イツキは右手を伸ばした。
「いやぁ…イツキもよくがんばった。見直したよ」
出会って10年目にしてはじめて握手を求める。
耳の中で鍵盤を弾いてくれて、励ましてくれた手に。
長いこと顔を合わせてたのに、今まで森下諒貴のことを何も知らなかったことに気付くイツキ。
諒貴も手を差し出た。
でもついさっきまで20階建てビルみたいに大きかったイツキが再び自分と高さの目線に立って、
大型船を捻り潰してた手を握ってることを思い出したら一瞬ゾッと怖くなって。
握る直前になって手を弾いてしまった。
「えっ…?」とみるみる曇るイツキの目は既に、イカを焼き殺したときの不敵な色ではなかった。
やばい。傷つける気はなかったんだけど。
こんなときは…
がばっ。
間髪居れず、目の前にいる少年を思いきり抱きしめてみた。
「っー森下くっ…!?」
面食らうイツキ。どうすればいいかわからなくって、避けようともしなかった。
諒貴も簡単には放さなかった。
手っ取り早く許しを請うにはスキンシップが一番だってことを、経験的に会得してたから。
(いや、赦しを上回る何かを、おれは求めていたのかも。)
少し高めの体温に乗って、鼻腔を満たす髪の匂い。
腕の中の少年は華奢で、強くしたら折れそうだった。
さっき大きくなったときのイツキの肉体は、もっとかっちりしていた気がする。
顔も雰囲気が違うし、どうやら巨大化すると、1歳か2歳か年上の雰囲気になるらしい。
(ああ…スポーツの得意な由美さんは、どんな抱き心地なのかな…?)
ふと、昼間抱きしめたイツキの玉袋の柔らかさと、おち○ちんのぬくもりを思い出す。
あの生地、ほんのりオシッコの臭いがした…。
いや、忘れよう忘れよう!偶然発生した事故だ。
さくらんぼのペンダントから溢れ出た光の中に、消え去るように見えたイツキの身体。
服が消え、真っ裸の肉体がみるみる透明になっていって。
消え去ってしまうんじゃないかと思って、慌てて引き止めようと駆け寄った時にはレオタードみたいなのに覆われてて。
ちょうど巨大化が始まりかけたところで、とっさに掴んだ部分が男の子の大切な場所だっただけ。
…感覚的には腕か肩を握ったはずだったんだけど。
それで、ぶら下がったまま降りられなくなってしまった間抜け。嗚呼おれとしたことが、一生忘れ得ぬ不覚。
諒貴は記憶を遠くへ飛ばすようにブンブン首を振り、話題を変えた。
「…ところであのイカ。何だったんだ?」
「【魔帝チューリップ】とか言ってたよね」
「それと巨人化したきみのことも」
「びっくりしちゃったよ」
ふたりはとりとめなく、今後どうなっちゃうのか話し合った。
「森下くん、ひとつ約束してくれる?ぼくが戦っていることは秘密にしておいてほしいんだ」
「なんだ鍋島、またお化けが襲ってきたら巨人になる気か?」
「だって…この街を守りたいし」
ちなみに、諒貴がいくらペンダントを弄っても何も起こらなかったのはさっき、確認済みだ。
「親父か先生に相談したほうがよくね?」
「だめだよ。だって『弁償しろ』って言われたら大変じゃん」
煙を上げて燻り続ける瓦礫の山を振り返れば、消火作業、被害者の救助作業が続いているのが見えた。
「それに…お父さんやお姉ちゃんに、心配かけたくないから」
「もし、ばれたら?」
「ばれたときは、ばれたときに考える。」
「なんだよ、大雑把なやつだな」
しばしの沈黙。
気まずさを吹き飛ばしたのは、今度はイツキだった。
「ぼくの心配をすることはないよ? スクイディと戦ってるとき、結構楽しかったし」
「そ…そうか…」
街を壊しながら暴れるイツキの、知らざる一面を目の当たりにした諒貴。
でも、グーでイカをポカポカ殴る光景も思い出された。
「じゃあおれが仕込んであげるから。格闘の基本をね。」
「…そう??」
格闘技なんてご立派なものではないはず。諒貴が拳法とかボクシングとか、習ってる話は聞いたことがない。
きっと我流の喧嘩術だろう。…にしても、今まで森下くんがこんなこと言ったこと、なかったのに?
「なんでまた急に?」
訝しがるイツキの背をポンと叩く諒貴。
「またあんなのが襲ってくるかもしれない。きみが負けたら地球は滅ぶんだ。もっと強くならなきゃ。それに…」
諒貴の口許が八重歯を見せて歪んだ。
「先生に言われたろ? おれたち、『古くからいる者』同士じゃないか?<友愛>しなきゃ」
今の諒貴の瞳は、いたずらを仕掛けるときの目つきだ。
「なんか裏がありそうだなぁ」
「いーーや、そいつは気のせい、気のせい。これから末永く一緒に、仲良くやろうぜ?」
諒貴は言うと、イツキにもっと顔を近づけた。
そう。末永く、ね…。
イツキは少し戸惑ったが、やがて目の前においしい食べ物を置いた時みたいに、ぱぁっと華やいだ。
「わぁ〜っ、ありがとう!嬉しいな、友達になれて!」
今の顔。諒貴にははじめて見せた顔。ま…眩しすぎる…
「さぁかかってこい、チューリップ!森下くんに拳法を教わって、いっぱい壊すぞ〜〜〜〜!」
イツキ。それ、なんか違う。
ショックを受けたのか、コンクリートのように動かなくなった諒貴。
「わわっ、森下くん!?しっかりしてよ森下くん!?」
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予想通り、以後「お化け」は何度も来襲した。
形はいろいろだった。
動物。昆虫。魚類。鳥類…
でも、その都度、巨大な少年戦士が迎え撃った。
戦いを重ねるにつれてイツキは強くなった。
ただ、徐々に動きがどこかしら諒貴のケンカに似てきたのは、無理からぬことだったのかも知れない。
人々は少年の手にした幅広剣の形と、戦闘のたびに街を破壊していく戦いぶりをかけて、
『シティ・クリーバー』(街を引き裂く者)と呼ぶようになった。
けれども、シティ・クリーバーの正体が鍋島樹であると知っている者はいないかに見えた。森下諒貴以外は。
眼鏡の有無以上に、積極的な戦いぶりが、あの大人しいイツキのイメージとあまりにかけ離れていたから。
子供たちの共有する秘密は特に、より二人の関係を親密にする方向に作用した。
まだ学校では相変わらず別々の友人グループに属したけれど、
少なくとも諒貴が、真新しい黒ぶち四角眼鏡のイツキに消しゴムを投げることはなくなったし、
イツキが諒貴に話しかけることも増えた。
それはあたかもどろどろに混ざり合ったセメントが熱を帯びつつ、水和反応を起こしながら固まっていくように、
互いの心が化学反応を起こしながら、絆が徐々に強まっていく過程であったに違いない。
ふたりの少年、それぞれの思惑において。
つづく
この物語はフィクションです。
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