【五】


巨大な地球人を沈めて数分経過。
ゴボゴボと浮かんでくる泡もほぼなくなり、ばたばたと抵抗する手足も完全に止まったかに見えた。

『うひゃひゃひゃひゃ!俺様は無敵なのだーーー』

得意げのスクイディ。
人間、5分も呼吸ができなければ脳から酸素が欠乏して、死に至るといわれている。
どれ、もう少しの間沈めておこうか。

『早速、チューリップさまに報告せねばなー。俺様だけで地球人の<騎士>一人殺したとなれば、昇進間違いなしだ!』

頭の中で新たなる人生の展望が描かれたときだった。
海中で火山の噴火でも起こったかのように、水面が輝いた。

『なんだなんだ!?』

痛みとともに、海面に二本のちぎれたイカ足が浮かび上がった。

『えっ、うっそー!? うぎゃぁぁぁぁ俺様の足がーーーーー!!』

髪がぴったりと額に張り付いたイツキが海面から顔を出し、口から水を吐き出す。

「苦しかった…げほっ!げほっ!」

右手にはクレーンのかわりに、ピンク色のまばゆい光を放つ幅広の剣が握られていた。
細やかな彫刻の施された片刃の剣は、刀というより包丁に近いラインを描いている。

(ふふっ。よくやったよ、イツキ)

「…ゆるさない」

端正な顔の眉間は、怒りにこわばっていた。

(…え?…って…どわあああああああああっ!)

「スクイディ!!よくもぼくを殺そうとしたな!?このっ…このっ…このっ…!!」

重みで肉を切り落とすような形をした重量剣を両手で振り回すイツキ。
少年の背丈の3分の2ほどもある刀身に、半ば振り回されてるかのよう。

「死ね!死ね!死ね〜〜〜〜!」
『ギャオオオオオオオオオオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!』

滅多に怒らないイツキがキレると手におえなくなるのも、諒貴が一番よく知っている。
ためらいもなく、剣でイカの足を引きちぎってくイツキ。

(あっちゃ〜〜〜〜〜〜…けどま、いいか……)

イカもやられっぱなしではなかった。
足が鞭のようにイツキのスレンダーな肉体を打ちつける。

「ひゃっ…アァ……あんっ…!」

腕。腿。レオタードが破れた尻、へそのこぼれた腹部…。
傷を受けるまでは至らず、血は出ていないが、赤く腫れ、遅れて痛みがじわじわくる。
でも幼い巨人は命がけのバトルに興じる自身に陶酔するかのごとく、うっとり恍惚の表情を浮かべていた。

「こんどは、ぼくの番だよ…」

ハーハーと深く呼吸するたび胸が上下し、股の丘が再びムクッともたげて、パリッとテントを張っている。

「このぼくに楯突くなんて、命知らずなイカだね」

自信に満ち満ちた表情を浮かべ、塩水に濡れた刀身をぺろっと舐めた。

(イツキ…きみちょっと、性格が変わってないか??)

口にする諒貴も、イツキがダメージを受け顔を歪めるたびに男の証をこわばらせる。
起き上がるモノを押さえながら、今後二度とイツキをからかうまいと心に誓う。


『わわっ…や…やめ…て…』

イツキはついに一本の足もなくなったイカを担ぎ上げ、陸へ寝かした。
斬られた足があちこちでまだピクピクと動いているが、攻撃してくる気配はない。

「さて…どう始末するか」

いま少年の胸は、あたかも自分が地球上で生ける者すべての生殺与奪権を握る神の如き全能感に満たされていた。
ちょうど蟻を踏み潰すかどうか?網戸に閉じ込めた蜂に殺虫剤をふりかけるかどうか? 選択するときに似た感覚。

「そうだ!でっかいイカ焼きを作ってあげるね…森下くん」

剣をいったん置き、スクイディがホッとしたのも束の間。近くにあった重油タンクを何個か引っぺがしてく。
『あわわわわわわわ』


缶詰のようなタンクからトロトロと重油をこぼす。
油が足りなくなると、ふと近くに停泊していたタンカーも持ち上げてみた。
振ってみると積荷がチャプチャプ音がする。これは使えそうだ。
ジュースを注ぐみたいにドボドボと中身をスクイディにふりかけてく。

「えーと、火は……あった!」

近くの化学工場から伸びた煙突をへし折り、松明のように掲げるイツキ。
化学工場の煙突は煙を出さなくするため、上空で火を炊いている。

『やめろっ!先生に怒られるぞ〜〜〜〜〜〜』

先端を油まみれのイカに、ゆっくりと近づけた。

「…じゃあね」

にっこり笑った数秒後、舞山市にスクイディの断末魔の叫びが響き渡った。
これがイツキの初勝利だった。





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